平等院
京都府宇治市宇治蓮華116
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  紫式部「源氏物語」の主人公のモデルと云われる左大臣源融(みなもとのとおる)の別荘が陽成天皇、次いで宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となりました。

長徳4年(998)、宇多天皇の孫・源重信の別荘になっていたのをその夫人から摂政・藤原道長が譲り受け、道長の別荘「宇治殿」になりました。
  
  道長が没すると、子・関白藤原頼道は宇治殿を寺院に改めようとし、開山は小野道風の孫・京都市左京区岡崎の平等院の住持となっていた明尊大僧正としまし、その際、頼道は「平等院」の名を貰い受けています。

治承4年(1180)、平家追討の以仁王の挙兵で源頼政が「橋合戦」で敗れ、当院で自害しています。

承永3年(1184)、後鳥羽上皇による鎌倉幕府の北条氏討伐では、北条泰時、時房の本陣が置かれていました。(承久の乱)
  
  南北朝時代、建武3年(1336)、足利尊氏と楠木正成の戦いに巻き込まれ、鳳凰堂(阿弥陀堂)以外ほとんど焼失してしまうのです。

明治35年から40年にかけて大規模な修理が行なわれました。

今では、鳳凰堂に仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、52体の雲中供養菩薩像が雲に乗って音楽を奏でているのです。

『Wikipediaを参照』
  
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