建仁寺
京都府京都市東山区小松町584
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  鴨川の四条大橋か五条大橋をのどちらを渡ろうか迷うぐらいの場所にあり、東には清水寺、北には八坂神社があります。

臨済宗建仁寺派の大本山で、鎌倉時代の建仁2年(1202)に、本尊は釈迦如来、源頼家が開基、そして日本臨済宗の開祖である栄西禅師により創建されました。

ここで源頼家は鎌倉での頼朝の嫡男だよね。
  
  栄西ははじめ福岡市で聖福寺を建て、鎌倉に移ると北条政子の援助で寿福寺の開山となり、源頼家の援助で建仁寺を建立したそうです。

法堂の天井には、日本画家小泉淳作氏によって畳百八畳分の「双龍図」が描かれています。
  
  寺宝として、俵屋宗達の代表作である「風神雷神図屏風」、海北友松の「竹林七賢図」「花鳥図」「雲龍図」など、桃山時代の貴重な屏風絵、水墨画、障壁画を多く蔵しています。

方丈の庭や襖絵はすばらしい、安国寺恵瓊の首塚はどこにあるのかな。
    
  天文7年(1538)、安芸国守護武田氏の一族として生まれ、大内氏との戦いで武田氏が滅亡し当時4歳だった恵瓊は安国寺に身を寄せました。

以降12年間、当寺で仏道修行に精進し、35歳で安芸国安国寺の住持となり、毛利家の外交僧として活躍しました。

秀吉は恵瓊を大名に取り立て、建仁寺や東福寺の再建を行います。

関ケ原では西軍に味方し、京都六条河原にて斬首、建仁寺の僧侶が恵瓊の首を持ち帰り、方丈裏に葬ったのです。
    
  鎌倉後期の遺構を伝える勅使門は、扉にある矢の痕跡から「矢の根門」と呼ばれています。

元来、平清盛の長男重盛の六波羅邸の門、あるいは清盛の異母弟・平教盛の館門を移建したものと云われています。

傷は源平合戦でついものとも、足利尊氏の六波羅攻めの時とも云われています。

『現地案内&Wikipediaを参照』
    
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