浄教寺

京都府京都市下京区寺町通四条下る東側貞安前之町620
京都府の源平史跡1
 
平安の初めの頃、桓武天皇に重用された征夷大将軍・坂上田村麻呂によって建立されました。

 
浄教寺は重盛が小松谷の邸宅内に建立し、その境内には大きな「内大臣平重盛公」の石碑があります。

清盛の嫡子・重盛は保元の乱(1150)、平治の乱(1159)ではおおいに功績をあげました。

平氏が二条派から後白河上皇を支持し、清盛の隠退の頃には、重盛は平家の中心となりました。

   
安元2年(1176)、建春門院が世を去ると後白河法皇と平氏と対立が顕在化してきます。

安元3年(1177)、京都東山鹿ケ谷の静賢法印(信西の子)の山荘にて、平家打倒の陰謀事件(鹿ケ谷の陰謀)が発覚し、中に重盛の妻の兄・藤原成親も加わっていました。

治承3年(1179)、清盛の後継者とされながらも、清盛と後白河法皇の対立していく中、父より先立ち病いで世を去るのです。

『Wikipediaypより』

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