西八条第跡
(にしはちじょうてい)

京都府京都市下京区観喜寺町 梅小路公園
京都府の源平史跡1
   
西八条第は八条亭とも呼ばれ、平安時代後期、平清盛が平安京の八条壬生に構えた六町を有する広大な邸宅です。

仁安元年(1166)頃に造営され、清盛が邸内の庭にヨモギを植えたところから蓬壺(ほうこ)とも呼ばれ、白拍子の祇王・祇女や仏御前の物語もこの邸宅での話です。

清盛は仁安2年(1167)に太政大臣の位を退いてから摂津福原に居を移しましたが、妻の二位尼時子はここに住み、邸内に光明心院を営みました。

清盛は、安元3年(1177)6月の鹿ケ谷山荘事件の後、この邸宅でその処分を決めています。

治承5年(1181)閏2月4日、清盛は64歳で没し、その2日後、この邸で火災が発生します。

再建するも、寿永2年(1183)7月25日、平家の都落ちに際し、自ら火を放ち、邸宅は残すところなく灰燼になり、文治元年(1185)、壇ノ浦の合戦により平家は滅亡するのです。

『現地案内を参照』

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