平安宮 采女町跡

京都府京都市上京区西神明町339
京都府の平安史跡1

  
天皇の居所である内裏の西北にあった采女町は、主に天皇の食膳の給仕を職掌とした女官が伺候する所で、西隣には天皇の食膳を調理をする内膳司がありました。

采女の制度は、古墳時代後期頃、地方豪族が朝廷への服属の証として自らの子女を出仕させたことに始まり、7世紀の律令制の確立によって采女の身分や法的な整備がなされました。

  
采女町は、采女の宿所や詰所として用いられた施設と考えられ、天皇が日常の食事をする内裏後宮に近いこの付近にあったことが、陽明文庫本「宮城図」などからわかっています。

長和2年(1013)には、西に隣接する内膳司とともに焼亡したことが「日本紀略」にみえます。

この付近は采女町の南東部に当たるが、これまでに本格的な発掘調査が実施されておらず、采女町の建物や施設の遺構は発見されていません。

この付近の試堀調査や立会調査では、現在の地表から0.8〜1m下で、平安時代の遺物を含む地層が確認されており、土師器、須恵器、緑釉陶器(りょくゆうとうき)、灰釉陶器、黒色土器や瓦など、平安時代の遺物が出土しています。

『現地案内を参照』

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