満願寺

兵庫県川西市満願寺町7-1
兵庫のお寺めぐり
   

奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することになり、そのうちの摂津国満願寺です。

高野山真言宗の寺院で、本尊は開眼阿弥陀如来です。

平安時代中期に、多田院を創建した源満仲が帰依し、以来源氏一門の祈願所となりました。

鎌倉時代には、後醍醐天皇による勅願寺となり、室町時代には源氏一門の足利将軍家の祈願所となりました。

源家の七塔

伊豆守 源国房は摂津源氏を継いだ源頼綱の養子。
出羽守 源光国は源国房の長男。
下野守 源明国は源頼綱の長男。
下総守 源仲政は源頼綱の次男。
山縣三郎 源国直は源頼綱の三男。
摂津守 源行国は源明国の長男。
源兵衛太夫蔵人 源国基は摂津源氏の流れを汲む源国直の次男。

三廟(藤原仲光、美女丸、幸寿丸)

藤原仲光は、源満仲の家臣として仕えていました。

源満仲は子・美女丸を僧にするために中山寺(叡山とも)に入れましたが、美女丸に修行の身が入っていないことに源満仲は怒り、藤原仲光に殺害を命じました。

しかし藤原仲光は主君の子を切れず、我が子・幸寿丸を代わりに殺害するのです。

坂田金時の墓

天暦10年(956)生まれ、金太郎は足柄山で熊と相撲をとる元気な子供に育ちます。

天延4年(976)、源満仲の子・源頼光と出会い家来となり坂田金時と名乗り、頼光四天王の1人として、大江山の鬼の頭目、酒呑童子を退治しました。

寛弘8年(1012)、筑紫へ向かう途中、美作で病気で世を去りました。

『Wkipedia参照』

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