清須市清洲 | |
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JR東海道本線「清洲駅」で降りて、線路沿いを東へ歩きます。 五条川、紅い橋の向こうには、清洲城(きよす)の天守が見えました。 2006年8月、いつまで続く暑い日々。 尾張の真夏、線路の小径でくらくらするよ。 |
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本能寺の後、織田家の跡継ぎを決める「清洲会議」は最近見たよね。 関ケ原の決戦、その場面にも出てくるよ。 もとは秀吉に仕えた福島正則、細川忠興、黒田長政、池田輝政、浅野幸長、大垣城の西軍を討つため清洲城に集結。 江戸の家康、遅しと待っていたんだよ。 ついに来たのは家康からの使者、何と言ったのかな。 |
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JR清洲駅から歩く、暑い暑いでやっと五条の橋だよ。 天守に上る、犬山城や岐阜城、大垣城も見えたかな。 信長がいる、前に座っている武将の顔の方がこわいけど、信長は威圧感がある。 もし上司なら転職だね、身体がもたないよね。 |
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平成8年の河川事業の時、下流200mの所で発見された石垣。 下に松材を使い、その基盤の上に「野面積み」されていたらしいよ。 信長の銅像を探してた、でも分からなかった。 あとで資料見たら、JR東海道の線路の南、清洲公園にあるんだ。 |
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「右大臣 織田信長公古城跡」 「清洲古城跡」の石標、西側へ歩く、中は小高くなっている。 差し込む光線は、清洲城霊碑を照らしてる。 新幹線・東海道線・高速道路、経済の道は暑く聞こえる。 清洲城の夏、休むと歩けないような小径を帰るんだ。 |
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応永十二年(1405)、室町幕府の管領で尾張守護・斯波義重が築いています。 斯波氏の守護代・織田氏が力を持ち始め、永禄年間(1558-70)には信長が城主になりました。 天正十年(1582)、本能寺の後、次男・織田信雄が城主となるのですが、小田原合戦で信雄は秀吉に叛き、清洲城には秀次が入り、のち福島正則の居城となりました。 関ケ原合戦後は松平忠吉・徳川義直と替わり、慶長十五年(1610)には名古屋城が築かれ清洲城は廃城となるのです。 『参考文献を参照』 |
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