丸岡城

坂井市丸岡町霞町

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北陸自動車道「丸岡IC」からすぐ西の市街地へ、その中心には丸岡城(まるおか)があります。
  
  
日本で一番古い天守閣だよ。 中の階段が急すぎ、城主もロープを使っていたとしか思えない。

展示された沢山のお城の写真、どこのお城に行ってもいいものだよね。 行ったとか、まだ行ってないなぁ、と思うんだ。

  
「鯱」

もともとは木彫だったのを石製にしています。
昭和23年、福井大震災で、棟から落ちたんだよ。
  
  
 「人柱お静」

勝豊が築城の時、天守閣の石垣が何度積んでも崩れてしまう。

そこで、二人の子供をかかえて苦しい暮らしをしていたお静が人柱に選ばれたんだ。

でも子供は侍にしてもらえなかった、これを恨んで春雨の時、堀には水があふれるんだ。
  
  
天正3年(1575)、信長が北陸地方の一向一揆の平定を期して、豊原寺(現在の東方約4km)を攻略しました。 信長は柴田勝家の甥、伊賀守勝豊を派遣して城を築かせます。

天正4年、勝豊は豊原城を丸岡に移し、これが現在の丸岡城となりました。

柴田勝豊はのあと、安井左近家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次等が一時これを支配し、その後、本多成重以下4代の居城となりますが、元禄8年5月、有馬清純の入封以来、明治維新に至るまで、8代にわたって有馬家の領有することとなりました。

平章館(現在の平章小学校)の創設者、有馬誉純(五代)は文教政策に力を注ぎ、文教の礎となりました。

明治3年3月、版籍奉還後、同4年9月官有となり、さらに民有に移り、明治34年8月町有となります。

その間、周濠は埋められ、城門、武者屋敷等の建物は売却または譲渡され、現在わずかに天守閣とその附近の石垣の小部分を残存するだけとなりました。

『現地案内を参照』

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