安芸高田市吉田町福原 | |
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中国自動車道、「三次IC」から国道54号線を南へ走ります。 吉田町の郡山城を過ぎ、4kmほど走ると「可愛橋北詰」、東側の橋を渡り、南に行くと標高316m(比高110m)の鈴尾城(すずお)が見えます。 |
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福原城とも呼ばれ、毛利氏の親戚でのち重臣になった福原氏のお城だよ。 福原氏は同じ名前の広俊が現れる。 八代・広俊の娘が毛利元就の母、つまり元就が生まれたお城なんだね。 |
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可愛川(江の川)に架かる橋を渡ると土手、お城が見えるよ。 川にはススキ、いつか青い小道を歩いてみたいね。 左へ行くと福原広俊の墓所がある、車で行くとバックで戻るうちに分からなくなった。 |
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「毛利元就誕生伝説地」 明応六年(1497)三月十四日、元就は母の里である鈴尾城で生まれた。 久しぶりに柵を開けるよ、少しだけドキドキ。 5分ぐらいで広い所、福原氏の居館跡、「毛利元就誕生地」の大きな石碑がある。 |
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「井ノ壇」 山頂近くの道横、直径1m深さ6mの石組みの井戸がある。 中を見る、石がきれいな円で組まれている、頑丈そうな井戸。 すぐに山頂、1辺10m、高さ1mで周囲を石垣で囲った物見台があるよ。 |
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元就の母は五歳の時に亡くなっているんだね。 ここからの眺めは素晴らしい、案内を見る。 可愛川の向こうには桂城、下峠城、星ケ城、雨乞城、宮ノ城、川本城に二ツ山城。 手前は尼ケ崎城、琴崎城に天神山城とある。 こんなにあったんだ、あといくつ行けるかな、秋の旅は続くよ。 |
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鈴尾城は、吉田盆地南の可愛川に面する丘陵上に築かれた山城で、永徳元年(1381)に毛利元春の五男広世が福原の地に移り、姓を福原と改めて築いた城で、十六世紀元俊に至るまでの219年間、福原氏の居城と云われています。 天文9年(1540)の郡山合戦には広俊がこの城に籠って吉田盆地の南の守りとしました。 鈴尾城は、標高316m、比高110mで、三方を急峻な崖と背後を空堀で区切ることによって要害としています。 郭は機能的に、頂部を輪状にめぐる中央部の郭群と北側の支尾根上につながる小郭群、さらに東側の谷近くにある居館跡の三群に分けられます。 頂上部の郭は南北18m、東西12mの広さをもち、その中央部には櫓だったと思われる高さ1m上幅1.5mの石垣があります。 城の眼下には、可愛かわがあり、これを扼す要衝の地として、戦国動乱期の吉田盆地を守る南の要でありました。 [毛利元就誕生の地] 福原氏は大江氏の子孫で、大江広元の次男・時広は、武藤国 長井庄を領してから姓を長井とし、4男季光は相模国、毛利荘を領してから姓を毛利としました。 永徳元年(1381)、毛利元春の五男広世は長井氏を相続して、六代の領主にあり、父元春から安芸国中部庄福原村を譲られて、この地、鈴尾城(福原城)に移り住み、姓を福原と改めました。 八代・広俊の娘は毛利弘元の妻となり、長男・興元が誕生し、次男・元就は明応6年(1497)3月14日、母の里であるこの城内で誕生したと云われています。 『現地案内を参照』 |
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