出石城

兵庫県豊岡市出石町内町

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播但連絡道路「和田山IC」で降りて国道312号線・9号線をさらに北上、下小田交差点から県道2号線を東へ走ると出石の町に入ります。

ここ出石は但馬の小京都ともいわれ、その東の有子山の麓に出石城(いずし)があります。
   
  
明治に入ってから、城は取り壊されましたが、昭和43年に本丸跡に復興されたものです。
  
  
 山麓の上から「稲荷曲輪」「本丸」「ニの丸」「三の丸」と西側には「西の曲輪」を配置しています。
   
  
「辰鼓櫓(しんころう)」,、大手門に置かれています。

毎朝、藩士の登城の時間、辰の刻(午前8時)を告げる太鼓を打ち鳴らしていた見張り櫓です。

出石探索コース例
「出石城」「有子山城」で、ちょうどお腹が減るので「出石そばを20杯」そして城下町探索で、最後は「お土産」です。

そして「出石温泉(乙女の湯)」で気分は最高となります
   
   
「家老屋敷」です。

白亜の土塀と長屋門からなるこの屋敷は、出石城の内堀内にあった高級武士(家老級)の居宅です。

一見平屋に見えますが、実は二階があって、不意の襲撃に備えた造りとなっています。

「仙石騒動」の中心人物で、徳川幕府によって断罪された仙石左京の屋敷があったことから「左京屋敷」とも呼ばれています。 
   
   
「桂小五郎潜居跡」

蛤御門の変で敗れた後、京を追われた桂小五郎は、広江孝助と名乗り、荒物屋をしながら幾松夫人と潜伏していました。

潜伏後、長州へ帰った小五郎は、西郷隆盛と薩長連合を結び倒幕に努めました。

その後、木戸孝充と名を改め、五箇条の御誓文の原案を作ったり、版籍奉還・廃藩置県など明治の基礎を作ったのです。

すごい人物が居たと感心するばかりです。  
  

    
出石町は但馬文化発祥の地として古事記、日本書紀にもその名が見え、中世には山名宗全一族の本拠地として二百年間繁栄を誇り近世は小出、松平、仙谷氏ら五万八千石の城下町として但馬に並びなき繁華を極めました。

二千年の歴史に薫る文化遺産の数かず、井然とした街路、美しい山河のたたずまいなど、出石が但馬の小京都といわれるゆえんです。

旧役場の背後の有子山(321m)の山頂には天正二(1574)年に山名氏政が築城した高城跡があり、山麓には慶長九年(1604)に小出吉英が築いた平山城が明治まで存続しました。

現在、城跡には昭和四十三年に再興した東西隅櫓や三丹一の初午祭で知られる有子山稲荷神社、仙谷氏の藩祖で石川五右衛門を捕らえた豪傑・千石権兵衛秀久を祭る感応殿等があります。

『現地案内を参照』
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