黒井城

兵庫県丹波市春日町黒井

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社町から175号線を北上し、春日町の立野交差点をJR福知山線が走っている方(左側)へ入ります。

黒井川を渡り、道なりに進むと黒井城跡(くろい)の登山口標識があります。
    
    
標高356m猪ノ口山の頂上には、本城部分も含め周囲8kmに及ぶ全体が巨大な要塞で、山中の至る所に曲輪跡や土塁、空堀など戦国時代の遺構がそのまま残り、現在は国指定史跡になっています。

南北におよそ150m間には三段の曲輪が設けられ、北から「本丸」「二の丸」「三の丸」で、その下には東曲輪・西曲輪と帯曲輪があります。
 
  
「二の丸の石垣」

荒々しい野面(のづら)積みの石垣で、これを囲んで三段曲輪・太鼓の段・石踏の段・西の丸・東出丸などの曲輪が配置されています。
    
  
山頂の石碑、保月城・保築城といわれています。

ここからの展望はとてもすばらしく、360度山々がパノラマのように映ります。

こんなに高い山の上にもかかわらず、よく耳をすませば下の人声が聞えるのです。

当時の城主も城下の様子に耳を傾けていたのでしょうか。
   
   
「興禅寺」

山麓の登山口手前にある「興禅寺」は、当時の下館と考えられています。

登山口は2箇所、駐車場右手のコンクリートの階段になったところと、左手のきれいな小川が流れているところからです。
   
   
「兵主神社」

山麓の少し西には氷上高校、その隣の「兵主神社」です。

祈願すると疱瘡(ほうそう)が治ると言われ、祈願した人々の記録が残っています。

ここには多くの巨木があり、樹種も多く、全体が県の環境緑地保全区域となっている貴重な鎮守の森なのです。
   

  
黒井城は別名を保筑城・保月城とも呼び、猪ノ口山(標高356m)にある山城です。

南北朝時代の建武二年(1335)春日部荘を領した赤松筑前守貞範(則村の次男)が、はじめて山頂に城を築いたことからその歴史が始まりです。

その後、約200年間数代の城主をへて、戦国動乱さ中の天文二十三年(1554)、萩野(赤井)悪右衛門直正が城主となり、その勢威の拡大とともに、全面的に大改修の手を加えたのが現在の黒井城跡です。

山頂の本城部分には、荒々しい野面積みの石垣をつみ上げ、これを囲んで中腹には三段曲輪・大鼓の段・石踏の段・西の丸・東出丸などの曲輪を配して防御を固めています。

さらに尾筋には千丈寺・龍が鼻・的場・百間馬場などの砦跡があり、また山中のいたる所に曲輪跡・土塁・堀切りなどの防御施設が埋もれていて、周囲10kmにおよぶ猪ノ口山系全体が巨大な城塞となっています。

天正七年(1579)8月、さしも堅固を誇った黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の大軍の前に落城をとげました。

その後、400年余りの間、なんら人工の手が加えられることもなく、今でも戦国時代の城のようすをそのまま残している城跡として、全国的に高い評価を受けています。

『現地案内を参照』

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