亀山城

三重県亀山市本丸町

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亀山へ行くにはどの道がいいかな、今回は名古屋から近鉄特急、揺られ着いたのは日本三津、紀伊本線で北へ走る。

亀山駅の北には亀山城(かめやま)があります。
    
   
津城からJR、たしか1両だったかな、降りる時、運転手さんにキップを見せるんだよ。

東海道46番目の宿、亀山、大河ドラマ・功名が辻で出てきたね。

秀吉と対立した滝川一益を討つため、一豊勢が攻撃、石垣を一番乗りした老臣・吉兵衛が命を落とすんだ。

泣けたよね。
  
  
三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するように命じられた堀尾忠晴が、間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと云われている。

だから丹波は亀岡城に名前を変えたのかな。

最近、地震でこの石垣が崩れていたよね、びっくりしたよ。
  
  
「大久保神官邸宅門」

関実忠が城の鎮守として勧請した南崎権現社の神官、大久保但馬守邸宅の門。

ところで大久保但馬守は誰のことなのかな。 亀山はテレビでも世界で有名となった、駅前に沢山バスが止まっている。

三重県のお城、電車の旅、あと少し行けるかな。 

   
伊勢亀山城は、文永二年(1265)若山(亀山市若山町)に関実忠が最初に築城し、元亀四年(1573)信長により関盛信が追放されるまで、関氏十六代の居城でした。

ただし、関氏時代のうちに現在の位置に還されたとされ、発掘調査においても戦国時代末頃の空堀が確認されています。

天正十八年(1590)、岡本宋憲が入城後、新たに築城したとされ、この城については、「九々五集」に本丸・二ノ丸・三ノ丸からなり、天守も建てられたと記されています。

また、三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられているが真偽のほどは定かではありません。

寛永十三年(1636)、本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手す、東西700m、南北500mに及ぶ縄張りが確定しました。

城の外周は堀が廻り、一部は谷をせき止めて水掘としました。

城内には本丸、二ノ丸、東三ノ丸、西ノ丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、二ノ丸には城主居館と藩庁を兼ねた二ノ丸御殿が設けられていました。

城主は八家がめまぐるしく入れ替わりましたが、延享元年(1744)石川総慶(ふさよし)が城主になると、以後は石川家十一代で明治維新を迎えました。

『現地案内を参照』

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