三重県松阪市松ヶ崎町 | |
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近鉄山田線「松ケ崎駅」から東へ、国道23号線「松ケ島町」を越えて、699号線をそのまま東へ入ると、畑の中には松ケ島城(まつがしま)が見えます。 2008年12月、暖かい伊勢の国。 伊勢北畠氏、いきなり八代の登場だよ。 |
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車は松ケ崎公園、歩いて集落の細い道を抜ける、ビニールハウスで野菜を育てているんだね。 ハウスの合間で働く人たち、目の前にお城があるよ。 かつては保曽久美(細首)という、五層の天守がそびえていた。 秀吉の部将・蒲生氏郷の時、松阪に移ると一瞬にして一漁村に変わってしまうんだ。 |
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北畠具教、また新しい北畠氏が登場だね。 初代から三代までの三人は覚えてるかな。 いきなり具教は八代、今回の探索、四代から七代は登場するのかな、心配だな。 ここに五層の天守、想像すると背中が反り返る、とにかく南へ走るからね。 |
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松ケ島はかつて保曽久美(細汲、細首とも書く)といい、参宮古道に沿い、三渡川の河口を控えた海陸交通の要衝でした。 天正8年(1580)、織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度会郡玉城町)からこの地に移し、松ケ島城と称し、五層の天守がそびえていたと云われています。 その後、信雄の家臣・津川義冬、滝川雄利を経て、同12年、秀吉の部将蒲生氏郷が12万石の大名として入城しました。 ところが、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下松坂に移り、本城下の町人や寺社はすべて強制移住させられて、松ケ島は瞬時にして、もとの一漁村に変容しました。 古図や検地帳には天主跡・掘之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・上屋敷・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせています。 ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられます。 『現地案内を参照』 |
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