波切城

三重県志摩市大王町波切

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鳥羽から国道167号線を南へ、志摩市街の東から国道260号線を南東に走ると、半島の東端には大王崎の灯台、この台地には波切城(なきり)がありました。
   
   
太平洋に突き出た岬、荒波と岩礁のため、昔から航行の難所と云われた。

東の波止場から上ると灯台、懐かしい気持ちになる路地と店、西へ歩くと展望台。

お城の碑がある、灯台の絵を描いてる人、ずーと見ていたいよ。
   
   
九鬼氏の菩提寺・仙遊寺の五輪塔です。 このお寺は、三代目隆次が開基だそうです。

九鬼氏、信長や秀吉、そして関ケ原をかけ巡る。 でも最後は海を離れ、兵庫県三田や京都府綾部の藩主となるよ。
  
  
大王崎の灯台。

三重のお城探索、この波切城で終わりだね。 この青さ、もう来ることは無いかな。

思い出沢山できた、並ぶ漁船、こくりこくりと話しているよ。
  

  
十六世紀初期、尾鷲市九鬼の城主・隆長の弟隆良が、波切郷士の川面道三を頼って波切へやって来て道三の娘婿となり、波切村の主に推載されました。

そして大王埼灯台の辺りに城を築き、次第に勢力を伸ばします。

三代目隆次・四代目泰隆は、加茂田城にまで進出し、そして嘉隆の時には信長、秀吉に従い志摩を手中に収め、鳥羽城を構築し、九鬼水軍として名を広めました。

しかしこの嘉隆、出自不詳、寛政系譜では、波切九鬼の五代目・定隆の子として系図を作ったので世間ではそれを用いておりますが、史実ではありません。

当仙遊寺は、隆次が開基であり、五基の五輪塔が安置されています。 その中で、隆次と泰隆の塔には法名命日が明記されています。

『現地案内を参照』

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