田丸城

三重県度会郡玉城町田丸

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伊勢自動車道「玉城IC」から北へ、JR参宮線を越えると田丸城(たまる)があります。

2008年12月、暖かい伊勢の国。 ここで伊勢北畠氏、初代の話が出てくるんだ。
  
  
JRは参宮線、そうか伊勢神宮が東にあるからだね。

北畠親房、神皇正統記(じんのうしょうとうき)、歴史教科書にも出てくる。

後醍醐天皇が崩御したのち、幼帝・後村上天皇のために、南朝の正当性を書いたんだ。
   
  
もう夕暮れ、大手門で写真を撮ろうと構えると、学生がなだれ帰っていく。

いいよね、お城が中学校なのかな。 小学生の修学旅行で行ったのは、伊勢神宮だった。

記憶にないけど、二見浦の岩は覚えてる。 石垣を一周したいけど、伊勢神宮の方へ行きたくなってきたよ。
  

  
田丸城は、延元元年(1336)、後醍醐天皇が吉野還幸のとき、北畠親房がこれに呼応挙兵するため、南勢の拠点として築いたものです。

神領を領有するため、南北両朝はしばしば、この城を中心に紛奪戦をくりかえしたが、合一の後は北畠氏一族がここに居城、玉丸御所となりました。

室町末期、信長が伊勢攻略の時、次男・信雄を伊勢国司北畠氏の養子嗣として和睦、南勢五郡を制し、天正3年(1575)冬、信雄は大河内城から田丸城に移りました。

この時、田丸城を大修築し、三層天守閣を築き、現在の規模を整えましたが、火災により天守を焼失、信雄は松ケ島城に移りました。

以後、稲葉氏、藤堂氏、久野氏がこれを領しましたが、明治維新、廃城により御料林(国有地)に編入されました。

『現地案内を参照』

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