津 城

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三重県津市丸ノ内本丸

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津へ行くにはどの道がいいかな。

今回は名古屋から近鉄特急、揺られ着いたのは日本三津、その一つの地には津城(つ)がありました。
    
    
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」、三重県の中央にある。

昔は安濃津と呼ばれてた。 津は初めて、兵庫県からだと鉄道では行きにくい。

早く第二名神ができたら、沢山行けるのにね。
   
    
りっぱな石垣が残っている、大きさ積み方が自然、嬉しかった。 近畿と思っていた三重県は東海、名古屋から近いと思っていた。

近鉄特急で来たけど、JRはもう少し考えなあかんね。 特に米原と大垣間、ここに快速が走ると鉄道愛好者は汗粒で判がにじんだ青春キップを握り嬉しく涙する。

それと姫路から岡山の間もたのむね。
  
 
「藤堂高虎」

家康に命じられて、丹波篠山城や丹波亀岡城の築城に加わり、ようやく慶長十六年(1611)、津城の大改修を行う。

武家屋敷を集め、寺を並べ、商人を住まわせる。参宮街道を城下へ引き入れ、安濃川に橋を造る。

すると伊勢神宮への参詣客が、津の繁栄を全国に伝える。

それが「伊勢でもつ、津でもつ」なんだね。
  

  
伊勢には南伊勢の神戸氏、北伊勢の北畠氏、そして中伊勢は長野氏がいました。

永禄十一年(1568)、信長の伊勢攻撃では、まず長野氏の宿将・細野藤敦の安濃城を攻めます。 しかし城は落ちないため、藤敦を説得して長野氏と和睦、信長の弟・信良を長野家の養子に入れました。

元亀元年(1570)、信良は上野城を築くのですが、城は手狭の為、別に築いたのが津城です。 のち信良は長野信兼と名を改め、津城が完成すると、安濃城の細野藤敦と雲林院城の雲林院祐基を攻め、織田信包と改名するのです。

天正十年(1582)、本能寺で信長が討たれると、秀吉に仕えるのですが、文禄三年(1594)には兵庫丹波の柏原に移ります。

文禄四年(1595)、富田知信が入り、秀吉に仕えて功績を挙げ、のち信高が継ぎます。 秀吉が世を去ると、信高は石田三成と意見が合わず、家康に味方して関ケ原に参加しています。

慶長十三年(1608)、信高は伊予宇和島へ転封、代わって藤堂高虎が伊賀上野城に入り、津城を居城としました。

のち藤堂氏十二代のお城として明治を迎えるのです。

『参考文献を参照』

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