長野県諏訪郡下諏訪町 | |
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諏訪大社下社秋宮の駐車場には霞ケ城主・手塚別当金刺光盛の像があり、ここが霞ケ城跡と云われています。 光盛は、諏訪神社下社の祝部である金刺氏の一族で、木曽義仲の部将の一人でした。 ここから眺める諏訪湖が眩しく静かだね。 |
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諏訪大社は諏訪湖の周辺4ヵ所にあります。 上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮で、社殿の四隅には御柱と呼ばれる木柱が建てられています。 日本一大きい青銅製の狛犬があるよ。 |
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光盛は、寿永3年に源範頼、義経の追討軍と戦い、近江国粟津(滋賀県大津市)で主君・義仲と共に討ち死にしています。 最後まで義仲に従った四騎の内の一人だと云われています。 |
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手塚別当金刺光盛は木曽義仲に従い、寿永2年(1183)、義仲の火牛の奇襲戦法で有名な?利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦しています。 つづく加賀篠原の戦いでは、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将・斎藤別当実盛と一騎打ちに及びました。 この古式にのとった見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能「実盛」の題材となって今に伝えられています。 光盛について、平家物語によれば、 光盛 「かく申すは、信濃国諏訪郡霞ケ城主・手塚別当金刺光盛なり。」 実盛 「仔細あって名のらじ、唯、首を取って木曽殿に見参されよ。」 光盛 「あなやさし、いかなる人に渡らせ給へば、みかたの御勢は、皆落行き候に、ただ一騎残らせ給いたるこそ、優に覚え候。名乗らせ給へ。」 実盛 「在ずる旨あらば名乗る事はあるまじいぞ、組もう、手塚。」 激闘の末、光盛がその首を討ち取るが、その人こそ、幼少の義仲(駒王丸)の命の恩人・斎藤別当実盛であり、義仲が号泣する戦乱の世の悲劇としても知られています。 『現地案内&Wikipediaを参照』 |
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