松本城

長野県松本市丸の内4-1

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水に映る天守、堀をぐるりと回ると、角度を変えては美しい姿を映してくれます。

明治政府による廃城令や第二次世界大戦で多くのお城が失われ中、現在では全国で12城しか現存していないお城です。

 
天正13年(1585)、石川数正は家康のもとから秀吉へ出奔します。

秀吉の小田原城攻めで北条氏が滅亡、家康が関東に移ると、秀吉から信濃松本に移封され、この地に松本城を築城しました。
 
東京や京都には沢山の観光客であふれている、最近は外国からも地方の有名な地に増えてきている。

嬉しくもあり、慌ただしくもあり。

一人ぼっちで堪能するまで、見て歩く方のが似合うお城だよね。


松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。

戦国時代の初めに守護大名小笠原氏の支城として、この地に深志城が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を信濃支配の拠点としました。

武田氏滅亡後、小笠原氏が深志城を取り戻し、名を松本城と改め、城郭と城下町の整備を進めました。

小笠原氏が関東へ移った後、城主石川数正・康長父子により、天守の建築(1593〜1594)などの整備が行われ、近世城郭として松本城の姿が整えられました。

松本城の範囲は、総堀に囲まれた内側を指し、総面積は約39万平方mあり、その約3分の1を三重の水堀が占めています。 総堀の内側に三の丸、二の丸、本丸が配置され、三の丸は家臣の屋敷地、外堀で囲まれた二の丸は二の丸御殿、古山地御殿、蔵などが置かれ、内堀と外堀に囲まれた本丸には天守と本丸御殿(1726焼失)がありました。

天守は、明治維新の頃に市民の尽力により取り壊しの危機から救われて現存し、国宝に指定されています。

本丸、二の丸、内堀、外堀、総堀、西総堀土塁の一部は史跡に指定され、天守と一体になって城郭の姿を今に伝えています。

『現地案内を参照』

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