長野県長野市松代町 | |
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上信越自動車道の「長野IC」、上高相交差点から南へ500mぐらい、JR松代駅の西側には公園、ここが松代城だよ。 2007年11月の終わり、はじめての長野だね。 実は700城達成のお城だったんだ。 |
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武田信玄が山本勘助に命じて築かせたと伝われてる。 北西には千曲川、三方を山に囲まれた善光寺平に築かれた平城だ。 朝早く来た、まだ開いていなかった。 観光する人もいなかったよ。 |
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インター辺りから歩く、銀杏色になりそうな学校、汽車ポッポの松城駅、真田10万石の地酒が美味しそう。 車道へ出る、小山田家や真田宝物館、お城はこの前だね。 松代には真田家菩提寺のお寺、佐久間象山の記念館とか、見たい史蹟が沢山あるんだ。 |
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「川中島」 第四回目の川中島の合戦、上杉謙信は妻女山に陣を構えた。 お城は明治六年に全焼、その時に二の丸や三の丸は取り去られ、今では本丸だけが残っているんだ。 もっと時間があるなら、一日かけて松代の街を歩きたい。 川中島の第2回目、はたして来れるだろうか。 |
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海津城は、千曲川の流れを巧みに利用して築かれた平城で、川中島平をにらむ北側を千曲川の天然の掘で強固に守り、本丸、二の丸の郭を配しています。 海津城は、武田方の北信濃をおさえる拠点として築かれ、高坂弾正を初代城主として、川中島合戦以降も北信濃支配の最重要拠点の役割を担っていました。 城は信玄に命じられた山本勘助が永禄元年〜三年(1558-60)に築城されたといわれ、築城当初は本丸、二の丸を土塁で囲んでいたと推定されます。 永禄四年(1561)の第四次川中島合戦では、九月九日この城において勘助が「きつつきの戦法」を信玄に進言したとされ、翌九月十日朝霧のなか、川中島平において激戦が繰りひろげられことはあまりにも有名です。 『現地案内を参照』 |
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