大槻氏城

滋賀県守山市木浜町

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JR守山駅から北西の11号線を琵琶湖に向かって走ります。

途中から琵琶湖大橋へと続く国道11号線となり、「速野」の信号から南西側の集落に入ると大槻氏城(おおつきし)がありました。
  
  
同じ町内、木浜城から一つ北側の道を東へ少しかな。 建久年間に大槻氏により築かれてます。

室町時代には、近江守護六角氏に仕えてたんだ。 しばらく近江守護の勉強ですよ。
  
  
今では末裔の方がお住まいです。

静かにこの地を跡にし、今浜城へと急ぐのでした。
   

    
宇多天皇ののち敦実親王・源雅信・源扶義と続き、その子・源成頼が近江国蒲生郡佐々木庄に居を構えて、佐々木氏を名乗ったのが始まりです。

平治元年(1156)、平治の乱の時、佐々木秀義は、源義朝に属したのですが、敗れて関東に移ります。

治承四年(1180)、源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、子の定綱・経高・盛綱・高綱を頼朝に従わせ、のち佐々木荘に戻るのです。

承久三年(1221)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府倒幕を企てた承久の乱では、定綱の子・信綱も倒幕方に属し、宇治川での戦功により近江国佐々木豊浦、堅田、栗本の地頭職を務めました。

長男・重綱は坂田郡大原荘、次男・高信は高島郡田中郷、三男・泰綱が宗家と江南の神埼・蒲生・野洲・栗太・甲賀・滋賀の六郡、四男・氏信は江北の高島、伊香、坂田、犬上、愛智を継ぎました。

この三男の泰綱が京都六角堂に屋敷を構えたので六角氏と名乗り、四男・氏信が京極氏を名乗るのです。

『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より

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