滋賀県守山市幸津川町 | |
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JR守山駅から北西の11号線を琵琶湖に向かって南へ走ります。 途中から琵琶湖大橋へと続く国道11号線の「洲本町交差点」から477号線を北へ、野洲川を渡る手前には幸津川城(さずかわ)がありました。 |
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北の服部陣屋から野洲川を渡り、やってきた。 ここは下新川神社、新しい館に碑がある。 代官・日向半兵衛の館と云われているよ。 |
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第十代・崇神天皇の第一皇子豊城入彦命が主祭です。 東国を平定せんと湖西より丸太のイカダでお渡りになり、この地を平定し、幸津川の里と命名されたのです。 小さな堀かな、神秘ただよう水に惹かれ、再び野洲川を北へ渡る。 小浜城へ向かうよね。 |
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長享元年(1487)、近江での乱れに、ついに将軍・足利義尚は、自ら出陣することになりました。 これに六角高頼勢は、観音寺城をはじめとして、八幡城や金剛寺城をも放棄し甲賀に敗走しています。 幕府軍はこれを追い、鈎に陣を移すと、高頼は更に甲賀の山中に逃げるのです。 延徳元年(1489)、戦わずして山中深い高頼を待つこと三年、、鈎の陣の義尚は、不幸にも病にかかり、世を去るのです。 『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より |
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