瀬田城

滋賀県大津市瀬

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名神高速、「瀬田西IC」から西の瀬田川に架かる唐橋を目指します。

2006年7月、大津の小雨も一休み。 琵琶湖畔探索シリーズ、瀬田の唐橋の南には瀬田城(せた)の石碑がありました。
  
  
琵琶湖から流れる瀬田川、近江八景の一つは「瀬田夕照」。

瀬田川にかかる唐橋は、沢山の話が伝わるよ。

橋の南は臨湖庵、甲賀武士の流れをくむ佐々木家家臣・山岡氏のお城があったんだ。
  
唐橋の東岸を少し南へ歩く、瀬田川沿いにあるよ。

672年、近江大津宮にいた大友皇子を、美濃国不破関から大海皇子(天武天皇)が攻めた時、大友軍が唐橋の板をはずして抵抗したんだ。(壬申の乱)

ここは竜宮社、平安時代にムカデ退治をした俵藤太秀郷も祀られているよ。
    
   
「建部神社」

近江一宮として知られる神社、唐橋から東へ500mぐらいかな。

日本武尊が東夷を平定した後、世を去ったことを父・景行天皇が悲しんで、この地に祀りました。

また源頼朝が平氏に捕らわれ、伊豆に流される時に源氏の再興を祈願したという話もあるよ。 
 
 
「瀬田の唐橋」

寿永二年(1183)、源範頼は兄・頼朝の命を受けて、京の木曽義仲討伐に向かうのですが、義仲の家臣・今井兼平が唐橋を壊しました。

承久三年(1221)、鎌倉から北条時房が京に入ろうとした時、京都軍の山田重忠らは橋板をはずしたそうな。

建武三年(1336)、西岸の官軍は橋板をはずしたにもかかわらず、足利尊氏は舟で渡ったそうな。 
   

     
壬申の乱以来、源平の戦いなどで、重要な地点として、瀬田川畔に戦国時代に瀬田城を築いたのは甲賀武士の流れをくむ佐々木家臣の山岡景房でした。

信長の命によって瀬田橋をかけた当時の城主・山岡美作守景隆は、本能寺で信長を討ち、安土城に向かう光秀と瀬田川で対戦したが、力つき自ら城に火を放って甲賀へ引きあげ、それ以来廃城となり、今はわずかに石垣を残すばかりです。

その後、膳所藩の別亭となり禅僧天寧が庵をたて「臨江庵」と名付けています。

『現地案内を参照』

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