山田城

滋賀県草津市南山田町

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JR草津駅の西2km、54号線山田交差点手前の市立武道館が山田城(やまだ)です。 
   
   
鎌倉から室町時代、志那・矢橋とともに当時の良港を押さえる為に山田氏が城を構えた。

平成12年、武道館建設の発掘では、円形の堀跡が発見された。 円は全国でも珍しいらしいよ。
  
   
「石津寺本堂(せきしんじ)」

お城から26号線を南へ、草津川を越え、あと半分くらいかな。

石津寺は最澄が創立し、延文四年(1359)には足利義詮が本堂を再建しています。
    
    
「鞭崎神社の表門」

白鳳四年(676)、天武天皇の命で大中臣清麻が創建しています。 源頼朝が平氏を滅ぼし、鎌倉より上洛する時にこの地を通りました。

馬上から鞭の先を八幡宮に向け、村人にたづねたので鞭崎神社となったらしい。 
   
   
「矢橋道」

近江八景「矢橋の帰帆」として知られている。京をめざして東海道や中山道をやってきた旅人。

急がない者は野路・瀬田の唐橋から大津へ、急ぐ者は矢橋街道を通り、矢橋から大津石場を舟で渡るんだ。

関ケ原で勝った家康、三成の佐和山城を攻め、この矢橋から大津へ渡ったんだね。

急いでないけど、足の裏が痛いなぁ。 JRまで戻る舟に乗りたいな。 
   

     
山田城は、鎌倉時代から室町時代にかけて、この地を支配した山田氏が住んだ城館です。

山田氏は、志那・矢橋とともに当時の良港であった山田港を押さえるために、この地に城を構えたといわれています。

平成12年、武道館建設に先立ち発掘調査を実施したところ、円形に巡る堀跡2条が発見されました。

堀は、それぞれから出土した遺物より内側の堀が13世紀、外側が14から15世紀にかけてのものとみられ、また、外側の掘内部から橋脚杭と思われる杭郡が検出されたことから、ここが城の入口であったとみられています。

そして、内、外の掘に時期差があることから、山田城跡は13世紀に築城された後、幾度か城の普請があったものと考える事ができます。

一方、堀の内部は、井戸跡を残して、すべて後世の開発により削りとられており、山田城に伴う建物跡などは残っていませんでした。

しかし、今回の調査で発見された円形に巡る堀跡をもつ山田城は、全国的に例をみない形式の城館跡であり、市内に残る青地城とともに中世における草津の歴史を考えるうえで欠く事のできない歴史資料です。

『現地案内を参照』

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