三宅御土居


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JR山陰本線「益田駅」の北を流れる益田川を東へ、171号線を少し北へ進むと三宅御土居(みやけおどい)があります。

2010年8月、暑すぎた夏休みも終わりだね
  
  
三泊して山口県の関門海峡まで行くつもりが、津和野で一泊。

そして帰路に、日本海回りの地道で帰る、ここで最期かな。
 
 
 
天文20年(1551)、守護大名大内義隆を討った陶晴賢は、その後毛利元就に滅ぼされます。

その陶と姻戚関係にあった19代・益田藤景は毛利氏と吉見氏に敵対します。

この時に七尾城が大改修されています。 登る余裕なし。
  
  
益田氏はふだんは三宅御土居に住んで、合戦の時には七尾城に立て篭っていたらしい。

夏休みの旅も終わり、めちゃくちゃ暑い。

温暖化は城跡探索さえもじゃまするのか、島根の旅、今度は真冬に来ようかな。
  

 
御土居とは、武士の館があった場所を指す「土居」という言葉からきています。

三宅土居跡は益田氏の居館跡で、居館が七尾城から益田川を隔てた対岸に築かれたのは、平野部の開発に伴う水の管理や益田川の水運を掌握するためと考えられます。

発掘調査の結果、南側は益田川の支流と考えられる川を堀に兼用し、残る三方には人工的な堀が巡っていました。

最終段階の規模はおおよそ1町(約109m)×2町(約218m)の大きさで、1町四方といわれる通常の館に比べ2倍の規模があり、このことからも益田氏の勢力の大きさがうかがえます。

三宅御土居は、11代景見によって応安年間(1368-75)に築かれ、天正11年(1583)頃に改修されたといわれてきましたが、12世紀にさかのぼる中国製の白磁や青磁も多数出土したことから、平安時代の末期頃から拠点的な施設が成立していたと考えられています。

『現地案内を参照』

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