平安京 内裏跡

京都府京都市上京区下丸屋町512
京都府の源氏物語

  
延暦13年(794)の平安遷都とともに造営された内裏は、天皇や后たちの居住空間で平安宮(大内裏)の中心的な施設です。

その構造は、陽明文庫蔵「内裏図」などによると、外郭築地と内郭回廊の二重構造で厳重に区画され、内郭が東西57丈(約171m)、南北72丈(約219m)、外郭築地は東西73丈(約219m)、南北100丈(約300m)の規模と云われています。

   
  内郭の南辺には、紫宸殿(ししんでん)、仁寿殿(じじゅうでん)、清涼殿などハレの場があり、北辺には弘徽殿(こきでん)、飛香舎(ひぎょうしゃ:藤壺)、淑景舎(しげいしゃ:桐壺)といった七殿五舎からなる後宮が存在し、それぞれの建物は回廊や透渡廊(すきわたろう)で繋がり、雅な宮廷生活が繰り広げられ、「源氏物語」の中心舞台でした。

初焼亡は村上天皇の天徳4年(960)ですが、里内裏が用いられたのは、16年後の2度目の火事の時であり、歴史から姿を消すのは安貞元年(1227)の焼亡だったのです。

『現地案内を参照』

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