山中鹿之助首塚

広島県福山市鞆町後地1203
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永禄9年(1566)、月山富田城を守る尼子義久は毛利元就からの和睦を受け入れ、冨田城は落城し、尼子氏は滅亡しました。

尼子氏の家臣・山中鹿之助は、主家の再興を願い、兵を挙げました。

信長を頼り、秀吉の播磨攻めでは、尼子勝久と山中鹿之助を上月城を守らせましたが、毛利軍に囲まれ尼子勝久は自刃、山中鹿之助は捕らえられました。

天正6年(1578)、鹿之助は備中の毛利氏の陣へ護送中、高梁川阿井の渡で討たれます。

静観寺に本陣を敷いていた毛利輝元や、室町幕府最後の将軍・足利義昭は鹿之助の首実検をしました。

岡山県の阿井の渡には、胴塚があります。

『現地案内&Wikipediaを参照』


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