延応寺

兵庫県朝来市 口銀谷83-1

 兵庫県の幕末史跡1
   
文久3年(1863)、澤宣嘉(さわ のぶよし)を総帥として、平野國臣、南八郎(河上弥一)以下、長州・薩摩・筑前・水戸・出石などの二十数名の志士が大和天誅組と東西呼応して、尊王討幕の兵を挙げました。

義挙の前夜、一行が終結、謀議した生野義挙由縁の地で、義挙の碑が境内の黶iけやき)の前に建てられています。
  

生野奉行所は享保元年(1716)に生野代官所が設置されるまで十一代の奉行が続きました。

第8代生野奉行の酒井七郎左衛門定之(在日期間1679−1692)は、小野大橋を架けたり、山神社の祭礼を賑々しく再興します。

また産出が減っていた銀鉱石が各鉱山より多量に堀り出され、銀山町は活気を取り戻したのです。

『現地案内を参照』