生野義挙志士殉難の地

兵庫県朝来市山口上山2

 兵庫県の幕末史跡1
   
ここは山口護国神社、「生野義挙史跡」の石碑があるよ。

江戸時代の終わり、幕府を倒して新時代を開くべく、生野代官所を占拠した事件を生野義挙といいます。

文久3年(1863)、大和義挙が不成功に終わるとともに生野義挙も失敗に終わりました。

その時の隊長が長州藩出身の南八郎(28歳)です。
  

戦に敗れた南八郎以下13人は、この地の山伏岩に「今月今日討死」と血書して8人は切腹し、他は附近で討死にしました。

後に京都より送られて来た同士4人を加えて17人の志士の碑が建てられています。

中央に建っている「殉節忠士の墓」には「議論より実を行なへなまけ武士、国の大事をよそに見る馬鹿」は南八郎が書いた奉献歌の額で、腹巻には「後れては梅も桜に劣るらん魁けてこそ色も香もあれ」と書かれていまそうです。
   

 「正義十三自害之址」、下へ降りると大きな石なんだ。

日本海カニ旅行の時、竹田城に上る時、出石そばを食べる時、幾度も国道312号線は通っていた、道沿いにある神社、今まで何度も通り過ぎていたんだよね。

『現地案内、朝来市 生野義挙史跡めぐり資料を参照』