皇女和宮様之像

兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町2-6-35

 兵庫県の幕末史跡1
   
この像は、ここより山上へ300mの山の中にある寄手墳・身方墳の側に人知れず寂しくあられたのを平成12年にここにお移ししました。

和宮様は、仁孝天皇の第八皇女で六歳にして有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)と婚約をされ、むつまじく育てられました。

しかし幕末に、朝廷と幕府の関係を改善し、国論を統一せしめるため、幕府の強い要請で、和宮様は有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、17歳で徳川幕府の十四代将軍・家茂に嫁がれました。


その後、有栖川宮熾仁親王総指揮の官軍が江戸幕府へ総攻撃をかけようとしましたが、和宮様は嘆願し、江戸の町を戦火から救われました。

昭和3年、神戸市各小学校に二宮尊徳像を寄贈した中村直吉氏は昭和9年に県一(神戸高校)、県二(夢野台高校)、市二(須磨高校)の三女学校に和宮像を寄贈しました。

この像は戦争中の金属供出から免れたその内の一体だと云われています。

『現地案内を参照』