佐中千年家

兵庫県朝来市佐嚢1283

 兵庫県の幕末史跡1
   
生野義挙に加わり、武器調達係であった進藤俊三郎の生家です。

江戸時代には、代々里正(りせい:庄屋の原型)を勤め、俊三郎は第22代丈右衛門の六男として生まれ、原六郎と改名し、明治維新後は欧米に留学、経済学や銀行論を学び、経済界で活躍しました。

渋沢栄一、安田善次郎、大倉喜八郎、古河市兵衛と共に「五人男」と称されていました。
  

千年家の祖は近江の国(滋賀県)三上山に棲息する大百足(ムカデ)を退治、関八州を平定し、京を攻めんとした平新皇将門を討伐した鎭西将軍藤原秀郷公と云われています。

その末裔の9代・進藤権之進(1135年)を始祖として、 850年間家系が継承され、7代目に当たる小源太敦景が初めて佐中に住み(応年3年 1424年)、第13代吉左衛門正国によって建築されたのが千年家だそうです。

『現地案内を参照、朝来市 生野義挙史跡めぐり資料を参照』