青谿書院(せいけい)

兵庫県養父市八鹿町宿南171

 兵庫県の幕末史跡1
   
青谿書院は但馬聖人といわれる池田草庵の私塾で、草庵が35歳の弘化4年(1847)から明治11年(1878)まで開講しました。

建物は二階建ての茅葺(かやぶき)で、一階の山側奥の6帖間が草庵の居室で、ふたつの8帖間は客室と講堂を兼ねていました。

草庵は朱子学と陽明学を融合させた「慎独(そんどく)」を重んじた学問を教え、ここで66歳の生涯を閉じています。
  

関東から九州に及ぶ各地から門弟673人が学び、その中には北垣国道(京都府知事)、久保田譲(文部大臣)、浜尾新(第2代東京帝大総長・文部大臣)等の多くの人材を輩出しています。

中江藤樹の藤樹書院、山田方谷の小阪部塾と共に近世私塾の3人に数えられるそうです。

大河「晴天を衝け」に出てくる群馬の大橋訥庵(おおはしとつあん)とも親交があったらしいよ。

『現地案内を参照』