中條右京・長曾我部太七郎 終焉の地

神崎郡神河町猪篠

 兵庫県の幕末史跡1
   
幕末の尊王攘夷運動の高まりとともに、全国各地騒乱が相次いで勃発しました。

そのうち天誅組、生野の変、天狗党(てんぐとう)が三大蜂起として有名です。

生野では七卿落ちの一人・澤宣嘉(さわ のぶよし)、平野国臣、南八郎(河上弥市)など36名が、生野挙兵を企てました。
  

しかし計画は失敗、追上峠から姫路街道を落ちた中條、長曾我部両名は農兵の銃弾で撃たれたのがこの場所です。

なお南八郎など13名は朝来町山口の通称「山伏岩」で全員が自刃し果てたのです。

中條右京(但馬出石藩士21才)
長曾我部太七郎(阿波人18才)

『現地案内を参照』