阿閇神社 阿閇の津

兵庫県加古郡播磨町本荘
第12代・景行天皇が 狩りで出会った印南別嬢(いなみのわきいらつめ)に求婚するのですが、天皇が近づくのを知ると印南別嬢は南批都麻(なびつま)の島に身を隠してしまいます。

白い犬に南批都麻にいることを教えられた景行天皇は、阿閇津(あえつ)に着いて、御食を捧げ、この地を阿閇村と名付けました。

 
「阿閇の津」と記され、昔から港とし発達し、舟人の往来の盛んな所でした。

「住吉大社神代記」(天平3年)に阿閇社とあることから、ここに海上守護神としての摂津の住吉大社から「子神」として御分霊を奉斎したのが当社です。
 
のちに、源季房朝臣(赤松氏の祖)が播磨国の守護として、加古郡大内村に移住された時、この阿閇庄の住吉大明神を信仰され、国家安全を祈願されました。

のち赤穂郡に白旗城を築き居城とされましたが、その後も赤松氏の祈願所として深く崇敬を受け、そのため赤松氏の居城に向かって西向けに建立されていると云われています。
  

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