手柄の山

 
ここは姫路の西南、手柄山。

まわりの田の稲を人が道具を使わずに手で刈っていたので「手刈りの山」と呼んだのが始まりです。

  
神功皇后が西征の途中、戦勝を祈願して、奥山の麻生山から矢を三本射たれました。

1本目は青山の稲岡神社、2本目がここ生矢神社、3本目は辻井の行矢射楯兵主神社に落ちました。 太市の破磐神社にも同じ伝説があります。 

    
ここは伊和の里と云われます。

出雲の伊和族は、姫路平野まで進出してこの地を拠点とします。

しかし大和朝廷に追われ、宍粟の伊和神社に戻ります。

  
手柄山遺跡は弥生時代から古墳時代の多くの遺跡が存在していました。

手柄山と云えば、遊園地や水族館、文化センターと球技場などいろんな建物ができている。

古墳があって、伊和大神がいたなんて、知らないで来ていたんだね。

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