桜井駅跡

大阪府三島郡島本町桜井1丁目

大阪府の古代史跡
  
奈良時代のはじめ、平城京と各地を結ぶ交通路を整備するために駅(駅家:うまや)が設置されました。

そのうち、京から西国に向かう道筋に設置された駅の一つに「摂津国嶋上郡大原駅」が続日本紀に記されており、これが桜井駅と云われています。

駅とは、大化改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達するために馬を配置した役所のことで、30里(当時の一里は約530mで、30里は約16km)ごとに設けられました。
  

京と山陽道をつなぐ道は西国街道と呼ばれ、古来栄えた街道筋ですが、桜井駅の実態についてはよく分かっていません。

しかし、延元元年(1336)足利尊氏の大軍を迎え撃つために京都を発った楠木正成が、桜井駅が長子の正行に遺訓を残して、河内へと引き返らせたことが太平記に記され、桜井駅は「楠公父子決別の場」としても広く世に知られるようになりました。

『現地案内を参照』