将軍塚

大阪府茨木市西安威2丁目1-1

大阪府の古代史跡
 
平安中期の頃から、「藤原鎌足の墓処は、初め摂津の阿威(あい)にあったが、後に大和多武峯(やまととうのみね)に改葬された」との説があり、それが江戸時代になって、この塚をあてるようになりました。

その為に鳥居を建て、石碑を掘り、石室内に祠をつくって崇拝し、毎年10月16日には、京都の九条家から使者が来て、反物二千匹を持参し、お祭りをされていました。
  

大化の改新の鎌足、藤原氏の始祖だよ。

中大兄皇子と石川麻呂と協力して、飛鳥板蓋宮にて、政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺、父・蘇我蝦夷を自害に追いやっただね。

当時は中臣鎌足と称して、「藤原」の姓を賜った翌日に世を去ったと云われているよ。

『現地案内とWikipediaより』