浄土寺

兵庫県小野市浄谷町2094
兵庫県の太平記史跡1

  
敷地内の東には現生(東方浄瑠璃世界)を表した「薬師堂」があります。

治承4年(1180)、平重衡による南都焼討で、東大寺や興福寺が焼失、その再建に勧進職となったのが重源上人です。

周辺の東大寺荘園を再建の経済的基盤とするため、伊賀国・周防国など東大寺の「別所」を造り、その内の播磨別所が浄土寺です。

   
永仁3年(1295)東大寺への訴状で、楠正成の祖父(父)と云わる河内楠入道が播磨国賀東郡大部荘(現在の小野市一帯)に入り、農民から年貢略奪を行い民から非難されたと云われています。

敷地の西には来世(西方極楽浄土)を表す「浄土堂」があます。 建物と快慶作の阿弥陀三尊像は国宝だよ。

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