神戸市兵庫区会下山町 | |
兵庫県の太平記史跡 | |
ここは兵庫、今では会下山公園や湊川神社として戦いの跡を残しているよ。 建武3年、延元元年(1336年)、九州から東上してきた足利尊氏・直義兄弟と、これを迎え撃つ後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成軍との間で行われた合戦です。 |
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「湊川陣所」 兵庫区の会下山公園だよ。 後醍醐天皇は東上してくる足利勢に対して、楠木正成に兵庫で戦うように命じます。 尊氏軍は海路で湊川に着き、弟・直義は陸上から兵庫へ押し寄せました。 |
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対する新田義貞は和田岬に、楠木正成は会下山に布陣します。 尊氏方の少弐頼尚は和田岬の新田軍を攻撃、 斯波高経は楠木正成が布陣する会下山の背後を攻め寄せました。 足利方の細川定禅が海路を東へ進み、生田の森へ上陸すると、義貞は戦線を離脱して東へ走るのです。 |
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「湊川神社にある楠木正成戦没地」 楠木正成軍は孤立し、正成と弟・正季は一旦は西の足利直義の軍勢を須磨まで引き下げたのですが、吉良氏、高氏、上杉氏、石堂氏軍が楠木軍に立ち向かい、楠木軍は兵をなくしていくのです。 ついに楠木軍は兵73騎になり、民家にて正成と正季は差し違え、残りも皆自害するのです。 『Wikipediaより』 |
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