御所八幡宮

京都府綾部市安国寺ノ段1
京都府の太平記史跡 
  
地下鉄「御池通り」を東に歩くと、高倉通りの東には御所八幡宮がありました。

   
建武の大乱の後、南北朝に入るに及んで、あたりの光景は一変し、この地には足利尊氏の弟で副将軍の直義が邸を構え、高倉殿と呼ばれていました。

直義が鎌倉において、尊氏に毒殺されたのち、尊氏は直義の邸を取り払い、その地に岩清水八幡の若宮を造営し、足利氏鎮守の社とし、尊氏の称号にちなみ等持院御所八幡宮または高倉八幡宮、三條坊門八幡宮ともいわれていました。

   
その後は、皇室のご尊崇と貴紳武門の崇敬を受け、特に足利将軍家累代の社参など朝家の敬仰篤く神賑を極めていましたが、応仁の大乱後戦国時代をへて、足利幕府の滅亡(1573)と共に社も衰退し、江戸時代には高倉の間に境内を占めるようになりました。

今では初音学区と、その近在の守護神として「お池の八幡さん」と親しまれ、崇敬され今日に至っています。

『現地案内を参照』 

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