挙母城
愛知県豊田市小坂本町

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  名鉄名古屋本線で知立駅から猿投方面に乗り換え、豊田市駅で降ります。

西側の愛知環状鉄道の新豊田駅から高架下を南へ15分ほど歩くと豊田美術館、そこには挙母城(ころも)がありました。
 
  別名は七州城(しちしゅう)、標高65mの台地から三河、信濃、美濃、尾張、伊勢、伊賀、近江の七つの国が見えたからだね。

今では美術館、この隅櫓は反対側にある。

近江も見えるかな、伊勢や伊賀も行きたくなってきたよ。

坂を上る、へなへな状態で見えるよ、豊田スタジアムやビジネスホテル。
 

 


寛延二年(1749)、内藤政苗(まさみつ)が挙母藩主となり、本多陣屋跡に桜城を着工しました。

明和元年(1764)、たび重なる矢作川の大洪水により、二代目内藤学文は樹木台に御殿を建て、四年後には七州城を築きます。

明治四年(1871)、廃藩置県により、隅櫓や大手門などが取り壊されるのです。

『参考文献を参照』

 

  
  「又日亭(ゆうじつてい)」

寺部領主・渡辺家の書院と茶席、渡辺家十代・規綱が又日庵と称していたことから付けられました。

規綱は大給松平乗友の第二子で、実弟は裏千家十一代・玄々斎です。

茶席は床と琵琶台とが兼ねられた洞床で、、と案内を読んだところで思い出した。

近江国琵琶湖一周探索をしてたんだ、早く帰らないとね。
 

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