那古野城
愛知県名古屋市中区二の丸

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  地下鉄桜通り線・名城線を乗り継ぎ「市役所駅」で降りると5分、名古屋城の二の丸には那古野城(なごや)がありました。

2006年9月、残暑きびしい秋。 大都会の地下鉄、太陽の方角で歩く方が安心だよ。

 
  迷える地下鉄は大都会、「名城公園駅」で降りる。

降りたホームには「名古屋城へは一つ前の駅で降りると近い」とある。

「なんでやねん」、名古屋の冗談は関西人には通じない。

歩いて15分、ここは名古屋城の二の丸、今川氏のお城だったんだ。

  
 


大永元年(1521-28)の初め、今川氏親(義元の父)が名古屋台地の西北端に築いたもので、一名「柳の丸」といいました。

氏親は、一族の氏豊を城主として守らせていたのですが、天文元年(1532)には織田信秀に城を奪われました。

その後、信秀が居城し、天文三年(1532)、信長はここで生まれてと云われています。

同年、信秀は古渡城に、また弘治元年(1555)、信長も清洲城へ移り、一族の信光が居城したのですが、やがて廃城となりました。

慶長十五年(1610)、名古屋城築城の際、二の丸の一部となりました。

『現地案内を参照』

 

  
二の丸庭園
  「二の丸庭園」

慶長十五年(1610)、名古屋城が築かれ、那古野は二の丸となりました。

もう少し秋が紅葉と呼ばれる季節に来てみたい庭園。

さあ尾張名古屋は残暑の秋、汗拭きながら歩く方が安心だよね。
 

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