樺崎砲台
愛媛県宇和島市住吉町

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松山自動車道の最終、「西予宇和IC」から国道56号線を南へ、宇和島湾には樺崎砲台(かばさき)がありました。

2008年8月、四国の夏は暑い。 いよいよ近づく宇和島、海と島、きれいな風景だよね。

 
  着いた、雨が降っている。

地図には歴史資料館が載っている、同じような道だから迷いながら海際。

実は砲台は海の近くにないんだ、歴史資料館の横にあるんだよ、資料館は昔の警察署、風情のある建物だね。
 

 


江戸末期には、黒船と呼ばれた外国軍艦が日本近海にしばしば出没するようになり、幕府は沿海諸藩にその防備を命じました。

嘉永三年(1850)、宇和島藩では、高野長英の設計による久良砲台(南宇和郡)を築造したが、のち宇和島湾にも砲台を設けようとして、宇都宮綱教、松田常愛の二人を奉行としました。

安政二年(1855)、樺崎砲台築造に着手、同年12月完成、五門の砲をすえたのです。

『参考文献を参照』

 

  
  「大砲」

安政と言えば、篤姫。 安政元年にペリーが再来、日米和親条約を結ぶ。

安政五年から、井伊直弼の「安政の大獄」、そして七年「桜田門外の変」だね。

学校では分からなかったけど、篤姫でようやく分かった。 そんな時代の大砲なんだね。