川之江城
愛媛県四国中央市川之江町

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松山自動車道、「三島川之江IC」から海岸側の国道11号線を北東へ走ります。

2008年8月、暑い四国中央市は曇りだよ。 JR「川之江駅」から海側、城山公園を上ると川之江城(かわのえ)がありました。

 
  仏殿城の方が正式名かな。

この地は阿波・讃岐・土佐からの侵入口、今でも徳島道・高松道・高知道が合体している要衝だよ。

築城の前、山頂には「恵心僧都開基の仏堂」があったので、仏殿城と呼ばれるんだね。
 

 


暦応元年(1338)、伊予国の河野通政が、讃岐国の細川氏の侵入を防ぐ為に、土肥義昌に命じて築かせたお城です。

康永元年(1342)、足利方の細川頼春が伊予・讃岐・阿波・淡路の軍勢を率いて攻撃、その攻撃目標となったのが仏殿城でした。

お城は落城、貞治三年(1364)、康暦元年(1379)には細川頼之にて落城し、天文八年(1539)には細川持隆により落とされています。

元亀三年(1572)には細野城主・蔦田大和守が攻撃し、城主・妻鳥采女はよく防ぎ、続いて阿波の三好長治が攻撃するのです。

天正十年(1582)、土佐の長宗我部元親が攻撃、城主・河上安勝は本丸に火を放して自害、続いて小早川隆景の攻撃で落城し、ついに廃城となるのです。

『参考文献を参照』

 

  
  低い山だけど、車で上がれるから楽だよ。

駐車場から天守へ、ここが行く度かの戦いの場となった。

今日は曇りだね。

暑い夏、静かな城跡、通り過ぎた暑さ、まだ雲の上になのかな。