西条陣屋
愛媛県西条市明屋敷

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松山自動車道、「いよ西条IC」から国道11号線を西へ、「常心交差点」から141号線を北へ1.5kmぐらい、西条高校の所が西条陣屋(さいじょうじんや)です。

2008年8月、四国の夏は暑い。 一柳氏の陣屋、播磨も繋がっているんだよ。

 
  昔は海に面したお城、ここは学校の大手門、下側に石垣が残っているよ。

分かった事がある、南の土山城に「松平頼純公の腰掛石」があった理由、近くなんだね。
 

 


寛永十三年(1636)、伊勢神戸城主・一柳直盛は、郷国西条へ転封になったが、赴任の途次大阪で病死したため、長男・直重が後を継ぎ西条に赴任し、西条陣屋を築城し城下町を開きました。

直重の後を継いだ直興は、寛文五年(1665)に改易となり、一柳氏の治政は三十年間で終わるのです。

そのあと、寛文十年紀州から徳川頼宣の次男・松平頼純が就封され、その後十代二百年間、松平頼英が明治二年版籍を奉還するまで、西条は城下町として繁栄します。

現在陣屋跡は、西条高等学校となっているが、校門となっている大手門、門脇の堤、前濠の石崖、お矢来、濠などに昔の面影が偲ばれます。

『現地案内を参照』

 

  
  紀伊藩主となり頼純の六男・頼安が跡を継いで、頼邑・頼淳・頼謙・頼春・頼啓・頼学・頼英と続きました。

話は一柳家。

直盛の領地は分割されて、次男・直家が播磨小野藩、三男・直頼が伊予小松藩だよね。 小野藩陣屋が、この地に繋がっていたんだね。