神辺城
広島県福山市神辺町川北

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山陽自動車道、「福山東IC」から国道182号線を北へ「神辺第一陸橋交差点」から国道313号線を東へ走ります。

1kmほどで北には「JR神辺駅」、そして南側の標高120m黄葉山には神辺城(かんなべ)があります。

2004年8月、初めての広島のお城。 「出会い」の言葉がある限り、がんばってみよう、そんな言葉を教えてくれた城跡なのです。
 

 
  南北朝から280年間、備後国の守護所が置かれていました。

山頂や尾根を削った平坦部が25ヶ所、塀や井戸もあるらしいよ。
 

 
 


神辺城は「道上ノ城」と呼ばれ、元弘の乱(南北朝争乱)で戦功をあげた朝山景連が備後国守護職に任じられ、建武二年(1335)に築城したと伝えられています。

以来、神辺城は備後国の守護職の居城として使われ、仁木義長・細川頼春・高師康・上杉顕能・渋川義兼・山名時義が守護となり一時期を除いて山名氏の備後支配がつづき、それぞれ守護代が居城しています。

戦国時代には杉原理興・平賀隆宗・杉原盛重・藤井皓玄・毛利元康が、江戸時代には福島正澄(丹波)・水野勝成が入城し、この間幾度も改築が行われ、福島時代に完成をしています。

元和五年(1619)の水野氏が福山城築城の際には、神辺城の櫓楼や門などが取り壊され移築されたといわれています。

実に二百八十数年もの間、神辺城は備後国の中心的役割を果たしてきた城なのです。

『現地案内を参照』

 

  
登るよ
  「登るよ」

ここは8合目ぐらい、ここまで車で登れるよ。

ここの駐車場から西へ北周りで山頂に登る。

南側(反対側)には「歴史民族資料館」がある、後で寄ってみるよ。
 
堀切
  上の写真の橋の下が堀切だよ。

いきなり「堀切」、全国の山城も「いきなり堀切」だと嬉しいな。

整備された道、掃除をしていた2人の年配の方がいた。

「石垣とか井戸はありますか」

「あるよ、小さな祠の裏に」、嬉しいな。

 
公園
  「公園」

山全体が公園になっているのかな。ブランコで遊びたいけど、「石垣」見つけてからね。

南北朝時代、朝山氏の後は仁木義長・細川頼春・高師康・上杉顕能・渋川義兼・山名時義が守護になっている。

しかし山名氏はここにも名が出てくるよ「六分の一殿」はすご過ぎるよね。
 
本丸
  ありました「祠」、後ろは藪だね、ここで「石垣」は見つけることはできなかった。

本丸は草がいっぱい、昔は3つ以上の建物があったらしい。

発掘調査で瓦、陶磁器、小銭が出土しているよ。

やってみたいね、発掘調査。 何か見つける度に「うぉー」とか言ってね。 どこか未調査の山を貸してほしいよ。
 

  
ここにも祠
  「ここにも祠」

本丸から南東へ一段降りた所、何かありそうだね。 祠の左側、窪んでいる所、「んー何やろ」。
 
石
  南へ回り込むと本丸の南斜面、土留めの石なのかな。

沢山、石が転がってるよ、少しづつ落ちていく。
 

  
石垣
  あった石垣、こんな所にあったのか。

実は最初の「橋」からもう一度やり直し、歩いていると道に「一つ石」が落ちてきている。

その場所で、見上げるんだよ。
 
西側の眺め
  「西側の眺め」

広島県で初めて訪れたお城。

ほとんど岡山県との境、ここから西に沢山のお城がある。 でも日帰りぶらぶらでは、なかなか来れない。

嬉しいような、悩んでしまうような、そんな気持ちだよ。
 

  
神辺陣屋
  「神辺本陣」

神辺城の山麓の東には菩提寺の「龍泉寺」。

北には「杉原屋敷」「天別豊姫神社」がある、もう少し北の町内に「神辺本陣」があります。

「神辺城」も人生で一度の「出会い」、だから「広島のお城」、頑張ってみるよ。
 

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