南天山城
広島県三次市吉舎町吉舎

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中国自動車道、「三次IC」から馬洗川沿いの国道184号線を南東へ走ります。

吉舎町(きさ)の支所で川を渡ると西側には、標高330m(比高120m)の山頂に南天山城(なんてんざん)があります。

2006年10月、秋の旅。 ここは備後の国、でも安芸の宮島へ、美しい風景の物話なのです。

 
  ここは備後国、武蔵国から広沢氏が来て、江田氏と和智氏に分かれていくんだ。

江田氏は尼子氏へ、和智氏は毛利氏に付く。

江田氏は毛利氏に滅ぼされる、でも和智氏も毛利氏に滅ぼされんだよ。
 

 


南天山城は中世、約200年の間、9代にわたってこの地方を支配した和智氏の本拠で、戦国時代のこの地方を代表する本格的な山城です。

築城年代は、文献がないために明確ではありませんが、初代の和智資実が14世紀中ごろに、本拠地を和知(現三次市)から吉舎に移したことから、このころに築城されたものと思われます。

以後、和智氏の本拠として、戦国時代を迎えます。

戦国時代、和智氏は大内氏・尼子氏の二大勢力の間にあって、大永年間(1521-27)には尼子氏に攻められ、8代城主・和智豊郷は尼子氏に降っています。

9代城主の和智誠春は、大内氏を滅亡させた毛利元就の味方として転戦していましたが、永禄12年(1569)、元就により厳島にて誅殺されました。

誠春の子の和智元郷は毛利氏に従い、和智氏は吉舎の地を離れ、この頃、南天山城は廃城となったものと思われます。

『現地案内を参照』

 

 
  「尾崎山公園」

馬洗川を渡る、宿場街風景の通り、写真館がある。

昭和3年、地元の吉川氏が高技術で造りあげた木造モルタル。

当時、この地方で洋館が珍しく、遠方から弁当持参で見学に来てたらしいよ。

後ろの山、尾崎山公園とある、誰が見てもここがお城だね。
 
  公園へ上る、あまりの素晴らしさに感動。

帰ろうとした、畑仕事の方に「姫路からお城を見にきた」と話す。

「お城は少し奥の山」と親切に教えてくれた。

こちらが南天山城だね、案内と善逝寺があるよ。
  

  
 

左が公園、右がお城だよ。

江戸時代の終わり、日正上人が里道のために三年かけて切り開いたと伝わる。

お城の方へ上る、神社がある。 頂上には数段の郭、4つの井戸跡、竪堀数ケ所があるらしい。

ちょっとだけ足ジンジンするとこあって、行かなかったよ。

 
  毛利隆元の毒殺の疑いで、和智誠春・久豊兄弟は厳島神社に籠り、攻めれば神殿を焼き払うと抵抗した。

でも誅殺されてしまう。 子・元郷は毛利氏への忠誠を誓い、のち子孫は毛利藩士となるんだよ。

隠岐へ流される途中、後鳥羽上皇があまりの素晴らしさに「吉き舎りかな(よきやどりかな)」、だから吉舎と付けられた街。

宮島、今年の秋、きっと行きたくなるよ。

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