相方城
広島県福山市新市町相方

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山陽自動車道の「福山東IC」から国道182号線を北へ走ります。

「十九軒屋北」から国道486号線を西へ、福山市と府中市の境近く、JR新市駅南の芦田川を渡り西へ、まもなく標高191m(比高170m)の山頂には相方城(さかた)が見えます。

2006年10月、秋の旅も終わり。 播磨へ帰ろう、ゆっくり帰ろうかな。

 
  備後の国人・宮氏のお城、佐賀田城ともいいます。

少し色づく木の葉、今年も紅葉は遅いと聞く。

安芸から始まった旅、備後で終りだよ。

毛利氏や尼子氏、大きな力の間で沢山の迷いがあったんだね。

 


天文年間(1532-55)、宮元信の代に兄弟の不和から弟・清元が宮氏から離れ、有地に出てから有地氏を名乗りました。

当時、尼子氏方であった宮氏に対抗し、有地氏は毛利氏に味方しています。

天文三年(1534 )、亀寿山城攻めの時、毛利方の武将として本家宮氏の攻撃に参加し、この戦いで宮氏は滅び、跡地に有地氏が入ると、隆信・元盛と続きます。

天正十六年(1588)、秀吉の「諸国山城停止」の命令により相方城は廃城となるのです。

『参考文献を参照』

 

  「山頂」

車で上れそうだけど、歩くと鉄塔が見える、お城かな。

東西に伸びる尾根は500m、2つの堀切で3つに分かれているよ。

ここから見るとよく分かるね。
 
  「石垣」

山頂尾根に石垣が続く、ここには階段がある。

門があったらしい、テレビ中継塔の工事の時、瓦や土器も沢山出てきたらしいよ。

秀吉の「諸国山城停止」は初めて出てきたね、今まで知らなかったよ。
 

 
 

「南の風景」

今年もあと2ヶ月。

夏の終わりはさびしい、でも秋はさびしくないね。

11月は紅葉の旅、尼子氏の出雲かな、関ケ原も行きたいな。

さあ帰ろう、明日は明日、ゆっくりと帰ろうかな。


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