桜尾城
広島県廿日市市桜尾本町

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山陽自動車道、「廿日市IC」で降りる、国道2号線を東に向かいJR廿日市駅の南には、桜尾城(さくらお)があります。

城と旅シリーズ、2007年8月は 「山口への旅」の帰り、ここは広島だよ。

 
  宮島の宮尾城から広島市側へ戻る、JR宮島口駅から3つ目、廿日市駅で降りるよ。

南へ歩く、広島電鉄を越えて南東、2号線までの桂公園だね。
 

 


嘉禎元年(1235)、安芸国守護となった厳島神社の神主職・藤原親実が桜尾城を本拠とします。

永享十二年(1440)、安芸銀山城主・武田信賢がこの地に侵入、厳島神社の佐伯親春らがお城に籠り防ぎました。

康正三年(1457)、足利義政から佐伯郡を賜った武田氏が再び包囲、この時も大内氏により勝利をおさめました。

永正五年(1508)、厳島神主家・興親が亡くなると神主家は断絶、地元では友田興藤に味方した宍戸氏が桜尾城に籠り、小方氏方の新里氏が藤掛尾城に籠って対立したのです。

これに対し、大内氏がこの地を支配する為に島田氏を城番とすると、これを不満とした友田興藤は武田光和と組んで、桜尾城に入ります。

大内氏は陶興房・弘中武長を大将として桜尾城を攻めるも難攻、大内氏家臣の吉見頼興が仲介に入り、友田氏が大内氏の臣従となることで講和しています。

天文十年(1541)、尼子氏が毛利氏の吉田郡山城を攻撃した時、友田興藤も大内氏に反旗を翻すと、大内氏は桜尾城を攻撃、そして落城となるのです。

永禄十二年(1569)、毛利氏と陶氏の厳島合戦に際し、毛利氏は桂元澄を本城へ入れ、元澄の後には四男・穂田元清が守りました。

慶長五年(1600)、関ケ原で毛利氏が敗れるまで、政治・軍事の要衝の地となっていたのです。

『参考文献を参照』

 

  
  公園の下に案内がある、裏側の碑がある辺りが遺構なのかな。

帰り、少しの上り坂。 この暑さには堪える、と思っていたら道を間違え、線路も行き止まり、なんと集落をくるくる回っているではないか。

やっぱり遺構は、今でも残っているんだよね。
 

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