毘沙門城
兵庫県三木市吉川町毘沙門

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  中国自動車道、「吉川IC」から17号線を東へ走ります。

「市野瀬交差点」の500mほど西側、北側の山裾には歓喜院、その背後の山が毘沙門城(びしゃもん)と云われています。

 
  中国自動車道を走ると「赤松PA」がある。

ここは播磨と摂津の境の赤松峠、嘉吉の乱で赤松満祐が京都から足利義教の首を持って播磨に帰った道だよ。

この毘沙門城も赤松氏と関係があったんだね。
 

 
鎌倉時代、赤松円心が六波羅と合戦をした時、領主・赤松備後守が法嶺山に砦を築きました。

室町時代には、領主・藤田紀伊守が三木城主・別所氏の支城として砦を城に修復し、赤松山亀伏城と称します。

天正時代、秀吉の三木城攻めの時に、藤田幸綱は子・右近とともに別所氏に味方しました。

しかし三木城は落城、父子とも毘沙門城に帰り自害、秀吉によりお城は焼かれてしまうのです。

『参考文献を参照』

 

  
歓喜院聖天堂
 

「歓喜院聖天堂」

室町時代初期に建てられ、吉川町に現存する最古の木造建築で、国の重要文化財に指定されているよ。

この聖天堂あたりは居館、右側を上ると二の郭、その西側が一の郭。

そうすると、東の駐車場あたりが三の郭、その上が四の郭かな。

 

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