播磨風土記 探索
 −播磨の名を探すー

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兵庫県姫路市、揖保郡、たつの市
 
  日本には5つしか残っていない風土記、その一つ「播磨風土記」の探索シリーズ、途中で出会ったお城や史跡を紹介していきます。 

2004年8月、シリーズ第1回目は「播磨の名を探す」、今回は姫路から自転車で西へ西へと探しました。

 

 
お菊神社
  「お菊神社」

姫路城の南側、十二所の二号線沿いにある。

「播州皿屋敷」の主人公、「お菊さん」を祀った神社。

城主・小寺則職の執権の青山鉄山が城の乗っ取りを計画しました。

それに気づいた衣笠元信は、お菊を青山家に女中として送り込み計画をさぐらせたのです。

しかし青山鉄山の方が力が強く、則職は元信に守られて家島に逃れました。
 
烈女
  お菊は青山家に残り、元信に情報を送っていたのを町坪弾四郎に気づかれ、その上に結婚も迫られるのです。

これを断ったため、腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として命を奪い、井戸に投げ込みました。

それから毎夜、井戸から「1枚、2枚・・」と皿を数える声が聞こえるのです。

この石、きっと男は「どきっ」とするよ。
 

  
付城構
  付城構(つけしろ)」 姫路市飾磨区英賀付城

JR英賀保駅手前の「付城交差点」を少し南東に入った所だよ。

天正八年(1580)、秀吉が英賀城攻めの時に築いたお城といわれています。

「関門西掘之跡」の石碑、そこには付城村は英賀城下の一部と書かれています。

英賀城の街もゆっくり探索したいよね、沢山出てきそうだよ。
 
赤松塚
  「赤松塚」

英賀保駅から西へ、京見橋で夢前川を渡ったあたりかな。

JR山陽本線の北側には嘉吉の乱を起こした赤松満祐の二男・則尚の「則直城」や、置塩城主赤松晴政の子・正直の「才の構」が見える。

ここは赤松氏と関係があるのだろうか。 知ってる人は教えてください、本当に分からないよ。
 

  
船つなぎ岩
  「船つなぎ岩」

JR網干駅の北側、朝日山の南登り口にあるよ。

14代・仲哀(ちゅうあい)天皇の后であった神功皇后が九州平定に行く途中、この大きな岩に船をつないだらしい。

そろそろ風土記の話が出てくるよ。
 
大日寺
  「大日寺」

大日寺は大化年間(645-650)、法道仙人が開基と伝わっています。

風土記には、応神天皇(神功皇后の子)がこの山で大法(重要な法律)を発っしたそう、どんな事を発したのかな。

斎明天皇の時に、大倭の千代勝部が田を開いて、ここに住みこの地を勝部岡(すぐりべのおか)と呼んでいました。

だから勝城なんだね。
 

  
勝城
  勝城(すぐる)」 姫路市勝原区丁朝日谷

ここも大日寺、でも戦国時代にはお城だったんだよ。

赤松氏幕下の福井時家が城主で、赤松満祐の嘉吉の乱で城山城籠城の時には、ここから八十八騎で向かったそうだよ。
 
宮本武蔵誕生の地
  「宮本武蔵誕生の地」

朝日山から西へ林田川の近く、揖保郡太子町宮本の石海神社のところだよ。

たまたま出会って、びっくり。

これで宮本武蔵の誕生地は岡山県英田郡大原町と兵庫県高砂市米田町とここかな、まだあるのかな。

武蔵の母もいろんな場所で生んでいるよね。
 

  
逆さ
  「逆さ椋(むく)」

根元は細いけど、上は大きいんだ。

500年前に植えられたのが、2回の火災で無残な姿になったけど「根っこ」が力強く生きのびました。

この火災で村の大半が焼失し、古文書などが消失、「この椋の木だけが武蔵の真実を知る」と書かれています。

ここには「力石」や「飯事(ままごと)」の石もあるよ。 男は石(意志)を持たないとだめという意味かな、でも持つと腰が砕けるよ。
 
栄の構
  栄の構(さかえ)」 龍野市揖保町栄

石海神社から林田川を渡り、県道29号線と新幹線が交差する南側だよ。

赤松氏の家臣・浦上氏の発祥の地らしい。

永禄年間(1558-69)には室山城主浦上政宗の家臣・花房靱負が居ました。

のちの備前の天神山城主・浦上氏の発祥の地か、小さな神社だけによけいに感動するよね。
 

  
萩原神社
  「萩原神社(はいばら)」

栄の構から南へ揖保川沿いにあるよ。

神功皇后は仲哀天皇と共に熊襲(くまそ)を平定する際に、この地に立ち寄りました。

途中、海が大シケのため船を陸に上げて引いていました。

これに見かねた一人の女が、子を背負ったまま海に飛び込んだのです。 この人身御供により嵐は静まりました。
 
萩原の里
 

「萩原の里」

夫を亡くした神功皇后は九州から帰京する途中、この萩原で宿泊されると、一夜の内に3メートルの萩が生えたのです。

「ここに井戸を掘って、その水でお酒を造り、戦勝を祝おう」

萩の間に井戸を掘ると水があふれ、「萩間の井戸」と呼ばれ、「萩間」は「針間」と変わり、そして「播磨」の国名が生まれたのです。

男は戦いに明け暮れているのに、大地を支えているのは女性のたくましさだよね。  「烈男」、漢字すら似合わないよね。

 

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